池下から西へ、今池・千種方面へ足をのばすと、にぎやかな通りのすぐそばに小さな森のような一角があります。高牟神社(たかむじんじゃ)です。境内には、いまも清水がわく井戸があり、「古井(こい)の水」と呼ばれて大切にされています。今回は、この古社にまつわる言い伝えを、神社の由緒をもとに整理してみました。
平安時代の記録にも名が残る古社
神社の由緒によると、鎮座は第13代成務天皇の時代とされ、のちに清和天皇の頃、社殿をつくり直すにあたって応神天皇(八幡さま)があわせて祀られるようになったと伝わります。もちろん、これは社伝として伝わる年代です。
一方、確かな記録として残っているのが、平安時代にまとめられた『延喜式』の神名帳です。そこに愛知郡の神社として「高牟神社」の名が載っており、古くから知られた社、いわゆる「式内社」であることがわかります。主祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と神皇産霊神(かみむすびのかみ)。万物を生み出す「むすび」の神さまで、ここから縁結びの神社としても親しまれています。
その後も室町時代から江戸時代にかけて、たびたび社殿の修造が行われてきました。江戸時代には尾張藩主による修復も受け、藩から修造料を与えられるなど、大切に守られてきたことが由緒からうかがえます。明治のはじめに式内社として改めて認められ、大正13年(1924年)の火災のあとに本殿などが建て直されて、いまの姿につながっています。
物部氏の武器庫が神社に?
高牟神社の由緒でおもしろいのは、社名の成り立ちについての言い伝えです。このあたりはかつて尾張の物部氏が暮らした土地の一部で、彼らが武器をおさめていた倉が、のちに神社になったといわれています。「牟」の字は古い武器を表し、「高」はそれをたたえる美称だ、という説明です。物部氏は古代に武器や軍事を担った氏族として知られていますから、話の筋としてもうなずけます。
また、平安時代の終わりごろ、幼い弁慶が神社の神宮寺(いまの光正院)にいて大般若経を書き写し、神社に納めたという伝承もあります。この経は大正13年(1924年)の火災で失われ、弁慶が植えたと伝わる松も昭和のはじめ頃までに枯れてしまったそうです。
「古井の水」と地名の由来
このあたりは古くは「常世の草香島」と呼ばれ、あちこちに清水がわいていたと伝わります。境内の井戸もそのひとつで、応神天皇の産湯に使う水として献上されたという話も残っています。この古井が、かつての「古井村」という地名のもとになったともいわれます。
「古井」を「こい」と読むことから、いつしか「恋の水」とも呼ばれるようになり、飲むと恋が実る、長生きできるといった言い伝えも生まれました。一年を通して水温がほとんど変わらず、名古屋の市内では数少ない、いまも生きている井戸のひとつとされています。
安倍晴明との関係は?
高牟神社について「安倍晴明ゆかり」と紹介されることがありますが、神社の由緒を読むかぎり、晴明の名前は出てきません。千種区で晴明ゆかりとされるのは、晴明がこの近くに庵を結んだと伝わる清明山の晴明神社や、晴明の一族が創建したと伝わる赤坂町の上野天満宮です。お参りの前に、どの神社にどんな伝承があるのかを知っておくと、より楽しめると思います。
境内で探したいもの
- 古井の霊水:境内にわく井戸の水
- ハート形の彫刻:「猪目(いのめ)」と呼ばれる伝統の文様が境内のあちこちに
- 百度石のフクロウ
- 西鳥居そばの撫で牛、高牟龍神社や北野天神社などの境内社
季節の行事も多く、1月14日のどんと祭、2月3日の節分祭、7月1日の赤丸神事、8月1日の茅輪神事、10月14日の例大祭などが行われています。日程を合わせてお参りするのもよいでしょう。
基本情報
| 名称 | 高牟神社 |
|---|---|
| 住所 | 〒464-0850 名古屋市千種区今池1-4-18 |
| アクセス | 地下鉄東山線「千種」駅・JR中央線「千種」駅、または地下鉄東山線「今池」駅から徒歩 |
| 時間 | 9:30〜16:00(名古屋コンシェルジュの掲載)/ご祈祷の受付は社務所で10:00〜15:00 |
| 休み | なし |
| 料金 | —(公式サイト・観光サイトとも、境内の参拝料についての案内はありません) |
| 駐車場 | なし |
| 電話 | 052-731-2900 |
| 公式サイト | 高牟神社 |
