覚王山(かくおうざん)は、名古屋市千種区にある、丘の上の小さな町です。お寺の門前町のにぎわいと、石垣や庭木の続く静かな住宅地。その両方がすぐ隣り合っているのが、この町の魅力だと私たちは感じています。はじめての方のために、覚王山がどんな場所なのかを、これまでの記事をたどりながらご案内します。
どこにあるの?
玄関口は、地下鉄東山線の覚王山駅です。名古屋駅から藤が丘方面の電車に乗れば、栄を通って乗り換えなしで着きます。日泰寺の案内では、名古屋駅からおよそ25分。ひとつ名古屋駅寄りの池下駅からも歩いて回れます。このあたりは小高い丘になっていて、参道はゆるやかな上り坂。歩きなれた靴で来るのがおすすめです。駅の出口やバス、駐車場のことは「覚王山への行き方と歩き方」にまとめています。
「覚王山」は、お寺の山号
町の中心にあるのが覚王山日泰寺(にったいじ)です。明治37年(1904年)、タイ(当時のシャム)の国王から日本に贈られたお釈迦さまの遺骨=仏舎利をお祀りするために建てられました。日本の仏教徒全体への贈り物だったため、どの宗派にも属さないお寺として生まれ、いまは19の宗派の管長が3年ごとに交代で住職をつとめています。はじめの名前は日暹寺(にっせんじ)で、シャムが国名をタイに改めたのに合わせて、昭和17年(1942年)に日泰寺となりました。くわしくは日泰寺の記事と「日泰寺とタイ王国」でどうぞ。
「覚王山」は、このお寺の山号です。「覚王」は悟りを開いた王、つまりお釈迦さまのこと。お寺ができてから、まわりの一帯もこの名で呼ばれるようになりました。ただ、名古屋市の町名一覧に「覚王山」という町はありません。町名として残っているのは「覚王山通」だけで、日泰寺の住所は法王町、参道の両側は山門町です。町名の由来は「町名の由来を歩く」で紹介しています。
月見の丘から、お屋敷町へ
日泰寺ができる前、このあたりは「月見坂」と呼ばれる月の名所で、江戸時代には藩士や文人が遊びに訪れていました。明治にお寺ができると門前町として発展し、明治44年(1911年)には電車も通って、商店街と住宅のまちが育っていきます。大正から昭和のはじめにかけては、名古屋の東の郊外にあたるこの丘に財界人が別荘を構えました。その代表が、松坂屋の初代社長・伊藤次郎左衛門祐民が築いた揚輝荘です。覚王山が「お屋敷町」と呼ばれるようになった歩みは、「覚王山はなぜお屋敷町になったのか」にまとめました。
参道と、毎月21日の縁日
駅の1番出口を上がると、日泰寺へ向かう参道が始まります。山門までのおよそ400メートルに約90の店が並ぶ覚王山商店街です。老舗の和菓子屋の隣に新しいお店が並ぶ通りを、商店街は「NEO RETRO TOWN」と呼んでいます。
毎月21日は、弘法大師の月命日にちなんだ縁日。地元で「弘法さん」と呼ばれるこの日は、参道と境内に露店が並び、朝から人の波でにぎわいます(縁日の記事)。お寺のまわりには、明治42年(1909年)に始まった覚王山八十八ヶ所の小さなお堂も点在しています。春・夏・秋には商店街の「覚王山祭」も開かれてきました(秋祭・夏祭)。
歩いて訪ねたい場所
- 揚輝荘…池を回遊する北園の庭と、洋館の聴松閣。駅から北へ歩いて約10分
- 古川美術館と爲三郎記念館…池下駅寄りの美術館と、昭和9年(1934年)建築の数寄屋の邸宅
- 城山八幡宮と末森城址…織田信長の父・信秀が築いた城の跡。境内には旧昭和塾堂も建っています
- 平和公園…日泰寺の東に広がる緑の丘。春は桜の名所です
どこから回ればいいか迷ったら、半日散歩モデルコースを参考にしてみてください。寺社や行事、町名の記事は「文化と歴史」のページで一覧にしています。まちの家の多くは、いまも人が暮らす住まいです。散歩の途中で見かけた門や庭は、道からそっと眺めるだけにしておきましょう。
