覚王山の駅から一本裏の道に入ると、石垣の上に大きな木が枝を広げ、門の奥に古い屋根がのぞく家が続きます。参道のにぎわいとは打って変わって、しんと静かな住宅地。覚王山が「お屋敷町」と呼ばれるのは、こうした風景があるからでしょう。では、この丘はいつ、どうして邸宅の建ち並ぶ町になったのでしょうか。名古屋市や日泰寺などの資料をたどりながら、その歩みを振り返ってみます。
はじまりは、月見の名所だった丘
覚王山のあたりは、名古屋の城下から東へ離れた丘陵地です。江戸時代には「月見坂」と呼ばれる月の名所で、尾張藩の藩士や風流人、文人が遊びに訪れる場所でした。いまも残る月見坂町や観月町といった町名は、その名残です。揚輝荘の名前も、この地が月見の名所だったことにちなむといわれています。
千種区の資料によると、この一帯では江戸時代にため池がつくられ、田畑が広がっていったそうです。町なかから少し離れた、眺めのよい静かな高台。その性格が、のちの別荘地、住宅地としての発展につながっていきます。
明治37年、日泰寺ができて門前町に
大きな転機は明治の終わりに訪れます。明治33年(1900年)、タイ(当時のシャム)の国王から日本にお釈迦さまの遺骨(仏舎利)が贈られました。これをどこにお祀りするかで各地の意見が分かれるなか、名古屋では官民をあげて誘致に動き、市民の協力で10万坪という広い敷地が用意されます。こうして明治37年(1904年)に誕生したのが、覚王山日暹寺(にっせんじ)、いまの日泰寺です。
覚王山という地名は、このお寺の山号から生まれました。お釈迦さまを表す「覚王」という言葉です。名古屋市によると、覚王山通という町名も明治37年に日暹寺の山号にちなんで名づけられたもの。日泰寺の住所の法王町も、仏を敬う呼び方にちなんだ地名とされています。お寺ができたことで、あたりは門前町として発展しはじめました。
電車が通り、商店街と住宅のまちへ
お寺への参拝客を運んだのが電車です。名古屋市交通局の年表によると、明治44年(1911年)8月、名古屋電気鉄道の覚王山線が開通しました。終点の停留所は当時「月見坂」という名前で、のちに「覚王山」と呼ばれるようになります。
千種区の紹介では、この電車の開通によって商店街ができ、住宅のまちとしても発展していったと説明されています。いまの参道の商店街の原型は、このころに形づくられたわけです。
そのあと、大正10年(1921年)には千種町が名古屋市に編入されます。人口が増えた大正から昭和のはじめにかけて、名古屋では区画整理組合が次々とつくられ、市域の約半分が計画的に宅地として整えられました。名古屋市はこの時期に、千種・昭和・瑞穂に新しい近代住宅街が生まれたとまとめています。昭和12年(1937年)には千種区が誕生しました。
財界人が別荘を構えた「郊外の丘」
同じころ、名古屋の東の郊外の丘陵地には、多くの別荘が建てられました。名古屋市の歴史まちづくりの計画書は、近代に活躍した財界人のなかには本宅や別荘をいくつも構える人が少なくなく、広い敷地に凝った建物を建てて、園遊会などを催しあっていたと紹介しています。
その代表が、松坂屋の初代社長・伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)が覚王山の高台に築いた揚輝荘です。大正7年(1918年)、中区茶屋町の伊藤家本宅から茶室「三賞亭」を移したのがはじまりで、昭和のはじめにかけて建物の移築や新築が続きました。昭和14年(1939年)ごろには、約1万坪の敷地に30数棟の建物と池のある庭園があったといいます。皇族や財界人、高僧らが訪れ、園遊会や観月会、茶会が開かれる、名古屋の迎賓館のような場所でした。
日泰寺の境内の東側に広がる墓地に、松坂屋の伊藤家をはじめ名古屋の名家の墓所が多いことも、財界と覚王山のつながりを感じさせます。
池下駅寄りの爲三郎記念館も、この時代の空気を伝える建物です。昭和9年(1934年)に建てられた、急な斜面に立つ数寄屋造りの家で、もとは料理旅館でした。昭和20年(1945年)に実業家の古川爲三郎が住まいとして買い取り、平成5年(1993年)に103歳で亡くなるまで暮らしました。名古屋市はこの記念館について、数寄屋など歴史のある邸宅が建ち並ぶ覚王山かいわいの景観の一端を担っていると紹介しています。
地下鉄の開通と、いまの住宅地
戦後、覚王山の交通は電車から地下鉄へと移ります。昭和38年(1963年)4月1日、地下鉄東山線が池下から東山公園まで延び、覚王山駅が開業しました。覚王山へ通っていた市電は、昭和40年(1965年)3月に今池〜覚王山間が廃止され、役目を終えています。
揚輝荘は空襲で多くの建物を失い、戦後は松坂屋の寮などとして使われたのち、敷地の一部が平成19年(2007年)に名古屋市へ寄贈されました。いまは北園と南園の約9,200平方メートルが残り、5棟が市の有形文化財になっています。大きなお屋敷の敷地が分けられて、マンションや新しい家に変わったところも少なくありません。それでも名古屋市は、城山・覚王山地区を「閑静な佇まいの住宅地として人気が高いエリア」と位置づけています。月見の丘から門前町へ、別荘地から住宅地へ。覚王山の静けさには、100年あまりの積み重ねがあるのです。
いまも訪ねられる邸宅
お屋敷町の歩みを実感するなら、中まで見学できる次の2か所がおすすめです。まちの家の多くは、いまも人が暮らす住まいです。散歩の途中で見かけた門や庭は、道からそっと眺めるだけにしておきましょう。
揚輝荘
池を回遊する北園の庭と、英国風・中国風・インド風の意匠が部屋ごとに現れる南園の聴松閣。財界人の別荘がどんなものだったかを、いちばんよく伝えてくれる場所です。くわしくは揚輝荘の記事で紹介しています。
| 住所 | 〒464-0057 名古屋市千種区法王町2-5-17 |
|---|---|
| アクセス | 地下鉄東山線「覚王山」駅1番出口から北へ徒歩約10分 |
| 開園時間 | 9:30〜16:30 |
| 休み | 月曜日(祝日の場合はその直後の平日)、年末年始(12月29日〜1月3日) |
| 料金 | 北園:無料/聴松閣:一般 450円、市内在住65歳以上 150円、中学生以下無料(2026年10月1日に改定) |
| 公式サイト | 揚輝荘 公式ウェブサイト |
爲三郎記念館(古川美術館 分館)
斜面を生かした数寄屋の母屋「爲春亭」と、大きな木の茂る庭。平成30年(2018年)には、母屋や茶室「知足庵」など6件が国の登録有形文化財になりました。庭を眺めながらお抹茶もいただけます。くわしくは爲三郎記念館の記事をどうぞ。
| 住所 | 〒464-0065 名古屋市千種区堀割町1-9 |
|---|---|
| アクセス | 地下鉄東山線「池下」駅から徒歩約3分/「覚王山」駅1番出口から徒歩約5分 |
| 開館時間 | 10:00〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休み | 月曜日(祝日・振替休日の場合は翌日)、展示替期間、年末年始 |
| 料金 | 爲三郎記念館のみ600円(展覧会により変わることがあります) |
| 公式サイト | 爲三郎記念館|古川美術館 |
このほか、覚王山のまちの成り立ちを知るなら日泰寺へのお参りもあわせてどうぞ。時間や料金は変わることがあります。お出かけ前に各施設の公式サイトで最新の情報をご確認ください(2026年9月確認)。
参考
- 歴史|覚王山 日泰寺
- 覺王山日泰寺について|日泰寺専門僧堂
- 千種区の町名の由来|名古屋市千種区
- 田代学区の紹介|名古屋市千種区
- 千種学区の紹介|名古屋市千種区
- 千種区のあゆみ|名古屋市千種区
- 名古屋市営交通百年史 年表(PDF)|名古屋市交通局
- 第2章 名古屋のまちの成り立ち(PDF)|名古屋市
- 名古屋市歴史的風致維持向上計画 2章5 近代産業の発展に見られる歴史的風致(PDF)|名古屋市
- 揚輝荘整備計画(PDF)|名古屋市
- 揚輝荘(ようきそう)|名古屋市
- 園内案内(揚輝荘と伊藤次郎左衛門祐民)|揚輝荘 公式ウェブサイト
- 利用案内|揚輝荘 公式ウェブサイト
- 爲三郎記念館(認定地域建造物資産)|名古屋市
- 爲三郎記念館(旧古川爲三郎邸)について|古川美術館
- 開館時間のご案内|古川美術館
